時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第56話 偉大なる敗北

黒田VS岸     

 79年知事選は、3期目をめざす黒田了一と自民、社会、公明、民社、社民連、新自由クラブ各党と関西財界、大阪地評、同盟、電機労連が束になってかついだ元副知事・岸昌の一騎打ちでした。
 岸昌。「自民党の息のかかった副知事を、一人番頭に置かないといかん」(自民党府連幹部)と黒田革新府政1期目に送り込まれた副知事でした。革新府政を妨害し、75年に副知事再任を拒否されると、「共産党のスケープ・ゴート(生贄)」などと言い放ち、府庁を去りました。
 「私のバックボーンは…戦争中にたたきこまれた皇国史観」(『命なりけり』)と叫ぶ岸を勝利させるため、関西財界・大企業が前面に出ます。「経済界が非常に動いてくれまして、府連には自由新報車が90台しかないんですが、この車を250台動員してくれましてね。運転手からご飯代まで全部自分持ちで協力してくれました」(「自由新報」5月8日付で森下泰・自民党府連幹事長)。人も、金も、車も財界丸がかえでした。

すさまじい奮闘  

 一時期、医師から知事をつづけると何年と命は持たないとさえ言われた黒田は1月10日、「人間が 人間らしく生きん世を 守り育てん 大きわが責め」と3期目の出馬を宣言します。
 「明るい会」と「各界連絡会」は草の根から多数派をきずこうと、「一人一言はがき運動」とパンフレット『みんなの府政』(100円)の100万部普及大作戦を展開します。
 「企業ぐるみ選挙」の牙城に切り込もうと松下電器本社前、事業所前のいっせい宣伝で8千冊普及など、労働者連絡会(福井宥事務局長)は総計60万冊を普及します。
 青年学生分野では、2月の民青第27回府大会に黒田知事を迎え、『革新大阪の旗たかく』パンフを発行。大阪女子学連が23大学から60人が参加して結成され、「ヤングレディの会」とともに黒団陣営のグリーンの風を吹かせます。
 文化分野では、2月9日の「励ますつどい」(なんば府立体育館)で笑福亭松鶴、上岡龍太郎、小田実らがエールを送ります。青島幸男、いとし・こいし、桂米朝、船場太郎、ダイマル、手塚治虫、永六輔、浜村淳、藤本義一、松本清張、ミヤコ蝶々、横山ノックらがさまざまな圧力、妨害をはねのけて黒田支持を表明します。
 地評議長だった帖佐義行、大教組委員長の東谷敏雄ら良心的な社会党員が黒田支持に名乗りをあげ、全日農府連は、「良心の命じるところに従って」(亀田得治会長)、黒田支持を決定します。
 メディアは「6政党を向こうにまわした黒田陣営の奮闘ぶりはすさまじいの一言につきる」(「読売」4月9日付号外)と評しました。

「おそろしいほど」 

開票結果を受け記者団の質問に答える黒田知事=79年4月9日

 知事選の結果は、黒田167万1812、岸179万2856。財界・自民党による革新府政乗っ取りを許した最大の要因は、社会党・総評の裏切りでした。しかし、黒田は77年参院選での共産党票を100万増やし、岸は自社公民合計282万から100万減らしました。関経連会長の日向方斎は「6党対1党の対決であり勝ってあたりまえ、せりあったことがふしぎなほど、黒田氏の善戦は共産党の活躍があったからでおそろしいほどだ」(「毎日」4月10日付)と語りました。
 「この世にし 勝利にまさる偉大なる 敗北ありと悔ゆることなし」。黒田が詠んだこの歌は、いまも多くの方の胸にあります。(次回は「79年総選挙、7人全員当選」です)

 

(大阪民主新報、2021年8月29日号より)

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