時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第78話 男女賃金差別撤廃を求めて

男女雇用機会均等法の下で      

 「大切なお嬢さんを結婚までお預かりします」。1959年、北川清子が住友金属工業に入社した当時は入社式も父兄同伴、こんな言葉がかけられていました。北川が結婚、出産後も働き続けると、部長が「犬や猫でも子どもは母親の手で育てる」と退職を迫り、はね返すとフロアを変えて隔離する。そして、8年後に入社した男性の年収との差が230万円――。
 「男女雇用機会均等法」(86年施行)下も続く現実に、94年3月、北川ら住友金属工業、住友電工、住友化学の女性労働者が労働省婦人少年室に「調停」を求めて立ち上がります。しかし、いずれも「調停不成立」か、「不開始」。95年8月に住友メーカー3社の女性9人、12月には住友生命の女性12人が、「結婚退職強要や嫌がらせ、既婚女性の昇給・昇格差別はおかしい」と各大企業を相手に提訴に踏み切ります。「均等法は女性を守る法律なのか。立ち向かわないと示せない」と弁護士に背中を押されての決断でした。

4千日の闘い   

 ここから4千日にわたる闘いが始まります。
 住友金属工業の原告らは大阪・東京本社前などでの毎月のビラ配布、地裁前から住友ビルを回る昼休みパレード、裁判所へのジャンボ要請ハガキなど、住友生命の原告は全国の支社でビラを配布するなど、多面的な運動で、国や会社に解決を迫りました。
 さらに各原告団は、ニューヨークの国連女性差別撤廃委員会、ジュネーブの人権委員会で、日本企業における女性差別の実態を訴えました。住友化学の石田絹子は、国連で「働く現場から訴えたのは初めて」と驚かれたといいます。
 裁判前後の活動はNHKや「ニュースステーション」などでもとりあげられました。
 「ビラとったで、とこっそり鞄の中を見せに来てくれた男性社員がいた」(住友生命・渡辺康子)、「裁判をたたかうなかで、結婚・産休が祝福されるようになった」(同・石塚勝子)、「職場の女性が『私の給料も上がるかな』と応援してくれた」(住友電工・白藤栄子)など職場も変化していきます。
 裁判のなかで、「闇の人事制度」の存在が明るみになり、男女差別の労務管理を認めさせ(住友金属)、同僚が陳述書を提出し、「産休・育休を取得するので低査定は当然」と主張する会社の労基法無視の本音をあぶり出しました(住友生命)。

差別は社会進歩に背を向ける     

男女賃金差別の撤廃を求めて行われた住友各社の裁判は原告側が勝利。写真は02年12月に勝利和解した住友生命ミセス差別裁判の「勝利報告と祝う会」=03年2月22日、大阪市天王寺区内

 大阪地裁では住友金属訴訟は勝利、住友電工・住友化学両事件は敗訴しましたが、大阪高裁で2003年から06年、住友3社すべてで解決金の支払いなどの勝利和解。住友電工では原告らの昇格も認め、住友生命も「既婚女性を理由とした昇給・昇格差別は違法」とする一審判決を実質的に確定しました。
 大阪高裁は住友電工訴訟における和解勧告で、こうのべました。
 「改革は、男女差別の根絶を目指す運動の中で一歩一歩前進し…すべての女性がその成果を享受する権利を有する」「過去の社会意識を前提とする差別の残滓を容認することは社会進歩に背を向ける結果となる」
 住友生命出身で、衆院議員としてこの問題をとりあげた菅野悦子は、「女性の地位向上へ、皆さんのたゆまぬ努力と旺盛な行動が、着実に歴史を動かし前進させていることを実感します」(『ミセスのどこが悪いねん』パンフレット)と言葉を贈りました。(次回は「西淀川公害訴訟」です)

(大阪民主新報、2022年2月6日号より)

 

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