時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第86話 「オール与党」が崩れて

「絶対的衰退」   

 2000年代にはいり、日本共産党を除く「オール与党」体制の矛盾と危機が深まります。関西経済連合会は「関西経済は絶対的衰退」にあるとのべていました(1999年「関西経済再生シナリオ」)。「ゼネコン浪費型巨大事業」の破綻が、大阪経済と大阪府・市財政に大きな重石となっていました。

「2つの病」を正す 

05年・07年に大阪市長選に出馬した姫野浄さん=05年10月30日

 「オール与党発祥の地」――大阪市政では、その膿が噴き出します。幹部職員のヤミ年金・退職金問題、「解同」系の芦原病院に対する320億円もの乱脈融資、ATC(アジア太平洋トレードセンター)、WTC(ワールドトレードセンター)など「三セク」(第三セクター)事業や土地信託事業に2兆円もの巨額を注いだあげくの破綻――。
 2005年、関淳一市長が責任をとって辞職します。ところが、関は「改革の民意を問う」として再出馬。異常な形で11月27日に市長選挙がたたかわれます。
 05年1月に「敬老パス」有料化案を見送らせるなど草の根での運動は広がっていました。「大阪市をよくする会」の要請で、日本共産党大阪市議団長、姫野浄が立候補を表明します。
 「『2つの病』――大企業べったりで大型開発を破綻させ、『解同』いいなりの乱脈同和行政もゆきづまった。これを正すと訴えた。焦点が鮮明で、おもしろい選挙だった」
 この選挙では関が当選したものの、前回から10万票近く減らします。
 06年10月、旧芦原病院に対する138億円の債権放棄案が全会一致で否決されます。日本共産党の追及と市民の怒りの前に、自民・公明・民主与党も賛成できなくなるという画期的変化を生み出しました。
 姫野が再び挑んだ07年の大阪市長選では、「オール与党」体制は崩れ、自民、公明が関を、民主党が平松邦夫を擁し、平松が勝利します。世論調査で、市長選の最大の争点として「大型開発の見直し」「同和行政の終結」があげられるなど、「大阪市をよくする会」の論戦が選挙戦をリードし、市民が「オール与党」に「ノー」の審判を下す結果をつくりました。

2008年知事選挙

 大阪府でもほころびが顕著でした。「りんくうゲートタワービル」の破綻(05年)、同和問題では「食肉のドン」、浅田満被告が逮捕された「ハンナン畜産問題」や、府が同和金融公社に貸付けた金の返済は216年かけていいという「200年 同和ローン」などが府議会で問題になります。そのうえに知事の太田房江が府の受注企業などから講演1回あたり100万円の謝礼をうけとっていた「関西企業経営懇談会」問題が明るみにでると、「オール与党」も見放し、08年知事選を前に、太田は出馬を断念します。
 与党の候補者選びは混迷し、自民、公明はタレント弁護士だった橋下徹をかつぎだし、民主党は独自候補を擁立。「オール与党」が二手に分かれ、「明るい民主大阪府政をつくる会」の梅田章二弁護士と3つどもえになります。
 勝利したのは橋下徹でした。スローガンは「子どもの笑顔が輝く大阪」。就任直後、橋下は日本共産党大阪府委員会事務所にも表敬訪問します。「政治経験も行政経験もないので、ご指導よろしくお願いします」。
 ここからすさまじいまでの橋下の府民への攻撃が始まります。(次回は「『橋下財政再建プログラム』とのたたかい」です)

(大阪民主新報、2022年4月3日号より)

 

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