時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第90話 東日本大震災

大阪からのボランティア       

市街地から流れ着き田んぼに埋まったがれきを手作業で撤去する大阪のボランティアたち=2011年5月23日、岩手県陸前高田市内

 2011年3月11日午後2時46分。東北の三陸沖、東南東130㎞付近、深さ24㎞を震源とする巨大地震が起きます。マグニチュードは9・0、日本国内観測史上最大でした。大津波が東北各県を襲い、死者・行方不明者は1万8千人を超えました。
 日本共産党は、ただちに震災対策本部をたちあげ、救援活動にとりくみます。全国でとりくんだ「東日本大震災救援募金」の総額は15年3月までに10億5502万円、「被災地党活動支援募金」は3億7693万円にのぼりました。
 大阪府委員会は救援・復興のボランティアを組織します。11年5月19日から23日まで22人が陸前高田市にかけつけた際、両磐地区委員会事務所で菅原則勝岩手県委員長から、県内で4450人が亡くなり2994人が行方不明、及川一郎・陸前高田市議が流され、スーパー2階のがれきに埋まり5月にようやく発見されたこと、地元の日本共産党員も18人が死亡し、12人が行方不明だと報告されました。
 大阪のボランティアチームには、日本共産党員市長だった中里長門前市長が病身を押してあいさつにみえ、「街は流されました。しかし、私たちがきずいてきた市民のきずなは失われていません。必ず復興します」「この現状に遠慮なくカメラを向け、そして復興する姿を撮り続けて下さい」と語りました。

福島第一原発事故 

 東日本大震災では東京電力福島第一原発で、核燃料のほぼすべてが溶融するという1986年のチェルノブイリ原発事故以来、もっとも深刻な原子力事故が発生します。
 日本共産党の吉井英勝衆院議員は、05年以来、国会で地震・大津波による原子炉の冷却不能の危険について、再三警告してきました。10年6月の衆院経済産業委員会では、「送電鉄塔の倒壊などで、内部電源も外部電源もダメになったらどうするか」と質問しました。しかし、自公政権も、民主党政権も、「日本の原発は『多重防護』で絶対大丈夫」などと「安全神話」をくりかえし唱えました。
 関電美浜原発事故やもんじゅの火災事故など、原発事故の調査、追及を積み重ねてきた吉井は、「福島第一原発事故は当然予見できた問題なのに、対策をとらずにきた。明らかな人災」ときびしく批判しました。
 この年の7月、〝若狭湾を原発ゼロに”――近畿と福井の共産党が力を合わせ、原発撤退、自然エネルギーへの転換、若狭原発群(15基)の危険から住民を守るために力をあわせようと初めての合同・交流会議を開きました。

「咲洲庁舎」の被害 

 東日本大震災では、大阪で最も被害を受けたのは府の咲洲庁舎(旧WTCビル)でした。とくに最上階は長周期振動によって1・4m幅の大きな揺れが約10分続き、スプリンクラーが作動して水浸しとなり、エレベータはとまりました。6月24日、庁舎の安全性や防災拠点のあり方を検討する府の専門家会議が開かれた際、専門家からは「震源から700㎞も離れていてこれだけゆれた」「地盤とビルの揺れの周期が同じ最悪の組み合わせ。共振現象が起きた」「南海地震があれば、6―7mの揺れが起きる」「庁舎が無事でも液状化でたどりつけなくなる」などの指摘があいつぎました。
 8月18日、橋下徹知事は咲洲庁舎への府庁全面移転の断念を表明しました。(次回は「知事・大阪市長ダブル選」です)

(大阪民主新報、2022年5月1日・8日合併号より)

 

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